対新型コロナ感染防護マスクの最終兵器(?)

自粛が解けて、段々に動き回る人が増えているが、夏に向かって暑くなる中、マスクをしていないと周囲の目が厳しいので、暑苦しいのを我慢して装着している。 けれど、もう少し楽に呼吸出来て口や鼻を圧迫しないマスクで、良いものは無いのか。 

多分、理屈から言えば、息苦しく無いマスクは、空気が通り易く、防護の効果は低い。 逆に、防護の効果を高めようとすると、N95のように息がし辛くなり、長時間の装着は難しくなる、のだろうと理解している。

 

マスクを装着せねばならないこと自体が、人間社会に与える悪影響については、別のエントリに書きたいと思うが、本当に厭わしいことになったものだ。 個体の生物としても、外気の取り入れに支障がある。 そして社会的生物として、コミュニケーションに大きな悪影響がある。 マスクを付けねばならない、という社会を覆った「空気」は、薄い毒ガスのように人類をじわじわと追い詰めて行くことになるだろう。

 

とはいえ、このエントリでは、その状況の中でも、なかなかマシに思えるマスクを記録したい。 まずは、Facebookで友人がシェアしていたこのマスク、一つの理想かも知れない。

www.nikkei.com

電動フィルターでマスク内の空気は清浄、口も鼻も圧迫しない。 これを装着していれば、かなりの安心感がありそうだ。 但し、電動のフィルターが必須なので、電池切れすると装着を続けられないので、その辺りは注意が必要だし、電池を持ち運ばねばならない。

 

更に最終兵器っぽいのは、この、上半身を覆うタイプの製品だ。 もうこれはマスクと呼ぶより、宇宙服のようなウェアと呼ぶべきかも知れない。

bit.ly

顔部分への圧迫は全く無くなっているが、こちらの方が更に大掛かりに電動フィルターを使うだろう。 電池は必須だし、例えば鼻の頭に痒みを感じた時に、ちょいと鼻を掻く、ということも難しそう。 

このマスクを皆が装着して、通勤列車に乗る図式、とか想像してみると、異様だろう。 しかし、フィルターで濾過された空気には、近傍の人間の整髪料やら化粧の匂いも少ないだろうから、少しは楽になるのだろうか。 

 

けれども、夏場、こういう透明プラスチックのパネルで呼吸する空気を囲い込まねばならないとすると、今より更に暑く感じるのか、空気の流れで涼しく感じるのか、それは現物を着用してみないと分からない。(現物を試着出来る場所は無いものか)

 

マスメディアが報じないが、5/31に、若者達のデモが安倍晋三私邸周辺で行われた

5月31日に、渋谷の安倍晋三の私邸を目指して、70名位のデモが行われたらしい。 Facebookで友人が書いていて、それで知った体たらくだが、それでも、黙って殺されて行くよりは、遥かに良い。 

 

リンク先の慶應大学の学生の言葉

「電車の人身事故が増えているのは、『国家による殺人』と考えられるのではないでしょうか。給付金にしても、電通パソナなどの大企業におカネが流れるというのは、おかしい。過去にここまで酷(ひど)い政権はなかったと思いますよ」

には、若い世代の実感が籠もっているように思う。

 

news.yahoo.co.jp

www.evernote.com

階段降りトレーニングをやってみた

梅雨に入って、今日は、朝から夜までずっと雨模様となり、ジョギングに出られない。 そこで、ここ数年やってみたいと思っていた、階段降りトレーニングに挑戦することにした。

僕の住んでいる集合住宅の、雨に濡れなくて済む外階段を使い、まずはエレベーターで一番上の階まで上がり、そこから出来るだけ静かに1階まで自分の足で降り、再度一番上まで上り、又降りてくる、という単純な運動だ。

階段を登るとなると、結構精神的にも辛くて、腿に堪えるのだが、降りだと、少なくとも、心理的には「楽だ」という気分になる。 実際には、降りでも結構腿の筋肉に負担がかかって、良い運動になる筈だ、とは思っているのだけれど。

僕の住んでいる棟には、階段が2箇所あって、それが各々上から見て時計回りと逆時計回りに出来ているので、体の使い方を均等にする為に、交互にそれらを使うことにしてた。 使えるフロア数は、14階分で、その間の階段は13階分となる。

外にある階段なので、雨で少々濡れている部分もあるから、足を滑らせないように気をつけて、軽快に降り始めた。 快調に1階まで降りて、別のエレベータバンクに移動、逆回転の階段を降り始めた。

13階分の階段で、1階について15段あるから、一回で195段である。 今日は、それを10回降りる予定でいるので、1950段を降りることになる。 建物の階で言えば、130階分になる。 池袋のサンシャインビルの2倍以上になる。

大学時代、鍛えて体力の頂点にあった時期に、サンシャインの1階から60階まで上り、全く平気だったのだが、60階から1階まで降りたら、足がカクカクして震えが止まらなくなったのを思い出す。 一直線の降りではないから、そこまで疲れないだろうが。

10回の降りの内、8回辺りで脚が重くなってきて、9回目10回目辺りは、足を縺れさせないように用心しながら降りた。 時間にすると、30分強で終わったようだが、今の腿の筋肉の強度だと、この辺りが限界のようだ。 少し膝にも痛みを感じる。

走った後の発汗量は、普段、ジョギングの半分程度だろうか。 腿の筋肉の疲れは遥かに大きいけれど、他の部分の動きは抑えられてしまっているので、体全体としての運動量はやはりジョギングには及ばないだろう。 やはり雨の時の運動不足対策、かな。

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腕に付けたFitbitの心拍計のデータが、明瞭に10回の階段降りの負荷を記録している。

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晴れた時に撮影した階段。 右側の階段と左側の階段の周り方向が逆に造られている。

 

職場での下着の着替え

暑くなってきて、朝、出勤した時点で、既に背中が汗でビショ濡れの状態である。 本当は、その時点で、まずは着替えたい。 

次に、一仕事して、事務所の外を歩き回って帰ってきたり、事務所で何かを運んだり、という肉体労働をすると、又、汗だくになる。

だから、最低でも、2枚は、下着のシャツの替えを持って出勤し、必要に応じて、着替えるようにしたいものだ。

今日は、うっかり着替えを持参するのを忘れてしまい、職場に置いてあった予備のシャツに着替えたいのだが、夕刻、歯科医院に行かねばならないので、その歯科医院に着いた時点で、汗だくになっていると予想され、その時まで、汗臭くない下着のシャツは温存せねばなるまい。

10年ほど前、浜松町駅から歩いて神谷町の事務所まで通勤していた時期があるのだが、その時は、シャツだけでなく、パンツも股引もびしょ濡れになるほどの発汗だったので、毎日、シャツ2枚、パンツ1枚、股引1枚を鞄に入れて通勤していた。

今も、夏の最中には、ターミナル駅から職場まで、1駅分は歩くので、本当は、パンツも股引も着替えたい気分だ。 

別に洗濯物が増えても、それほど生活費が高くなる訳ではないし、そうだ、明日から、そうしようかと思う。

男性は比較的簡単に着替えられるが、女性の場合はどうなのだろう。 化粧のこともあるので、僕のように、1日3回以上はお湯でざぶざぶ洗顔してさっぱりする、とは行かないだろうし、着替えも、そんなに気軽でないとしたら、気の毒なことである。

 

新型コロナで直接対面コミュニケーションが逆風下にあるが、敢えてその利点を言う

京都大学学長の山極先生と言えば、霊長類の権威で、流石に不勉強な私でもお名前を存じ上げている方だが、直接対面コミュニケーションについて、非常に示唆に富んだインタビュー記事を、Facebookで教えて貰った。 以下は、気になった内容の抜き書き。

 

  • チームは、目的と計画性がセットになってはじめてつくられる。それを可能にしたのは、人間が熱帯雨林に出たことで想像力を持つようになったから。
  • 人間は、牙をつくったり身体を大きくしたりして身体に武器をつくるのではなく、共感力を高めて協力しあうことを始めた。
  • 共感力が想像力を生み、チームワークを可能にしたと言えるかも。
  • 言葉は、人間が五感で感じるものをいったん抽象的にして再現する、非常に効率的でポータブルなもの
  • 目の前で怪我をした人がいれば強く共感するけれど、そばにいない人の苦しみや喜びは想像するのが難しい。そこにはひとつの限界がある
  • 五感のなかで、一番リアリティをもたらすのは視覚と聴覚です。「見る」「聞く」は共有できる感覚
  • おもしろいことに、この触覚や嗅覚、味覚という「共有できないはずの感覚」が、信頼関係をつくる上でもっとも大事なもの

cybozushiki.cybozu.co.jp

 

  • 触覚は触れると同時に触れられてもいますから、非常に共有が難しい。だから、母子もカップルも、肌の触れ合いを長くすればするほど信頼が高まる。それは、「触覚」という本来「共有できない感覚」を一緒に経験しているから
  • チームワークを強める、つまり共感を向ける相手をつくるには、視覚や聴覚ではなく、嗅覚や味覚、触覚をつかって信頼をかたちづくる必要があり
  • 合宿をして一緒に食事をして、一緒にお風呂に入って、身体感覚を共有することはチームワークを非常に高めてくれますよね? つまり我々は、いまだに身体でつながることが一番だと思っている
  • 人間は言葉や文字をつくり、現代ではインターネットやスマートフォンなど、身体は離れていても脳でつながる装置をたくさんつくってしまった。だから、安易に「つながった」と錯覚するけれど、実際には信頼関係は担保できているわけではないという状況が生まれ
  • 脳ではなく、身体でひとつになっている感覚が、チームワークには必要だ
  • 約60万年前に脳の容量は1500ccに達し、人間は150人の群れを形成できるようになりました。この頃から現代に至るまで脳の容量は変わっておらず、今の人間も実は「150人の群れ」のための脳しか持ち合わせていない
  • 150人というのはマジックナンバーと言われていて、人間が記憶できる顔の数なんです。しかも、言葉で覚えているのではなく、過去に身体感覚を共有した人の数。何か困ったときに無条件に相談したり頼みに行ったりできる「社会資本」と呼びますよね。その社会資本となる人の数が150人ぐらいだろうと言われている
  • 150人より大きな規模の社会で暮らさなければいけなくなったから、7万年前にコミュニケーションのツールとして言葉ができたんでしょうね。ただ、言葉によるつながり、脳によるつながりは、信頼関係をつくる上では成功しなかった。だから、今でも身体的なつながりに依らざるを得ない
  • 脳ではつながろうとしているけれど、身体ではうまくつながれていない。友だちに対して、何かこうしっくりこない感覚を持ち続けているのが現代の若者たち
  • 便利な時代にいるからこそ、人とつきあうことがコストになっちゃっている
  • 友だちをつくる時間をコストと考えてはいけないですよね。共感力をつかって信頼関係をつくるには、時間をかけないといけないんです。共感と信頼は時間との係数だから、いくらお金を使っても1分で友だちになるのは無理
  • 僕は「自己実現をする人が成功者」だという考え方は大きな間違いだと思うんですよ。自分だけの目的を持つのではなく、他者と共有する目的を持ちながら、いろんな役割を演じる楽しさを経験したほうがいい
  • 人間がサルや類人猿から受け継いだのは、共感力を高めて協力関係を網の目のように張り巡らせることでしたよね。時間軸を広げることで、あるときは自分が犠牲になることがあっても、長い目で見れば自分も豊かになれる環境を模索できたから、類人猿には住めない環境に出て行けた

 

cybozushiki.cybozu.co.jp

 

人間の集団は、150人がマジックナンバーで、顔と名前が一致する、というのが、ファシリティマネージャーの場合は、大体300人がマジックナンバーだった。 仕事を共にすると、それ位まで、集団サイズを拡張出来ていた、ということなのだろうか。

 

新型コロナ感染拡大で、ワークフロムホームが思わぬ形で普及し、多くの組織体で、「オフィスなんて要らんな」という感触が拡がっているかも知れないけれど、それって本当にそうなのか、何を失うことになるのか、真剣に考える必要があると思う。

 

現代の最先端の会社組織の在り方として、本社を無くしたことで有名なソニックガーデン社でも、半年に1回は、合宿という形で、物理的に集まることを続けているらしい、というのが非常に示唆的だと思う。

kuranuki.sonicgarden.jp

 

Facebookエントリ

TiddlyWiki

 

黒川弘務の正体、というブログエントリ、是非、読んで欲しい

新型コロナ感染拡大の騒ぎの中、抗議活動も出来ないようなタイミングを狙って、 #安倍晋三とその一味 が、汚い手段で自分達の身の安全を守る為に、司法の極めて重要な地位に、「悪の能吏」とも言える黒田弘務という男を着任させようと画策している。

その件について、Twitter上で、1000万を超える抗議のツイートがあっても糠に釘、柳に風と受け流す、恥知らずの与党。

そんな中で、様々な所で引用され、紹介されている「黒川弘務の正体」というブログエントリがある。

nobuyoyagi.blog16.fc2.com

万が一、消されたりしたらいけないので、保存版も。

bit.ly

黒川という人が、どういう手を使って、自民党政権の邪魔者を排除してきたか、そして、その有能な悪者を #安倍晋三とその一派 が、どうやって強引に検事総長の地位に着けようとしてるのか。

これを通してしまったら、日本の司法は、全く政治の腐敗を摘発出来なくなるだろう。 そして日本は、暗黒に包まれることだろう。 使えるものは何でも使って、この自民党の動きを覆さねばなるまい。

 

自宅勤務が長引いて、15.6インチの4Kモバイルディスプレーを買ってみた

以前から、自宅で集中して作業をする際に、MacBookだけだと、画面が1面だけで、作業効率が低いな、と思っていた。 古いiPadを外付けディスプレーに転用するソフトウェアを使って、小さめの外部ディスプレーを付け加えたりしてもみた。 長男が残していった、古い液晶テレビを、FHD(1,920×1,080)のディスプレーとして使ってみるのも試してみた。 しかし、流石にテレビを食卓の上に設置し、食事の度に片付けるのは大袈裟だし、FHDだとちょっと外部ディスプレーとして物足りない。 普段オフィスで使っている、4Kのディスプレーが使いたいのだ。

ということで、モバイル用のサイズで4Kのディスプレーを探して、購入することにした。 

届いて、USB-Type Cのケーブルで接続すると、あっさり繋がって、表示が出来たのだが、流石に、15.6インチで4Kは、やり過ぎだったか。 ちょっと表示が小さすぎる。 そもそも普通の17インチ〜20インチ位のディスプレーが、FHDで1,920×1,080の画素数のところを、4Kだと、3,840x2,160の画素数、つまりそれが4面分なのだから、FHDのディスプレーが、15.6インチの半分の、7.8インチに縮小されたようなものなのだ。

オフィスで普段使っているディスプレーは、大きめの28インチで4Kなので、僕の視力からすると丁度良い位で、非常に快適に作業出来ていたのだけれど、流石に、15.6インチとなると、文字が小さ過ぎる。 デスクトップの文字の表示サイズが、標準で12ポイントになっているところを、最大の16ポイントに拡大してみたが、それでもまだ少し小さい。

一番使用頻度の高い、Chromeブラウザを、表示サイズ150%にしてみたら、かなり快適になった。 4K側に持ってゆくChromeのウィンドウは、今後は、150%に拡大することにしよう。 MacBookのメインディスプレーの方は、今まで通り、100%で快適だ。 ウィンドウの動きに合わせて、こういう調整をするのは少々面倒だが、まあ、段々に慣れて来ることだろう。

本当は、MacBookのメイン画面の上部に、この4Kのディスプレーが浮いて固定されて呉れると、首の左右の動きが不要で、眼球の上下動だけで済むので、一番有難いのだけれど、現状では、それを出来る物理的しつらえが無いし、このモバイルディスプレーには、VESA規格の固定用のネジ穴が空いていないので、そもそもディスプレーアームのようなもので、自分の好きな位置に浮かすことが難しいのだ。

カバンの中に入れて、外に持ち出して作業出来ることを優先して、15.6インチというサイズを選んだのだけれど、どうもちょっと欲張り過ぎた、というか極端過ぎたのかも知れない。 僕の品物選びに、良く有りがちな欠点である。

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MacBookの右側にあるのが4Kのディスプレーで、そのディスプレーの左下の1/4の面積が、1920x1080のFHD画面の情報量なのだから、流石に小さいよ、文字が

 流石に、右側にしょっ中首を曲げていたら、近いうちに腰痛を起こしてしまいそうなので、何とか、上に設置出来ないものか、と思っていた。 そこへ、知り合いが「俺はディスプレーアーム買ったよ」というコメントを呉れたので、それをヒントに、実家の両親の所から戻ってきていた、iPad用スタンドを流用してみたところ、ピッタシであった。

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iPad用にビックカメラで特売800円で買った記憶のあるスタンド、結構質感が高くて、しっかりしている。 しかし、流石に15.6インチのディスプレーを支えるには華奢だから、気を付けて使おう。

本音を言えば、このiPadスタンドの裏側に、耐震ジェルを貼り付けて、固定をしっかりしてしまいたいのだが、そうなると、今の食卓の上に、銀色のスタンドが永続的に鎮座することになって、家族の非難を浴びそうだから、そこまではやらないでおこう。

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買った値段は安かったけれど、結構質感が高くて、しっかりした作りだから、気を付けて使えば長持ちして呉れそう。