実際の自分より立派に見せたい弱さと生きる

大学生の頃、硬式テニスの同好会に所属していました。 高校から近所のテニスクラブで遊んでいたので、そこそこ上手くなり、脚力もあったので、少しは見栄えのするテニスをしている、と思い込んでいました。 今思えば、実際には、全く穴だらけの弱いプレーヤーだったのですが。

同好会の中のトーナメントで、自分が自分より弱いと思っている相手と初戦で当たることになると、「もし、上手く戦えなくて負けたら、どんなにみっともないだろう。」なんていう、お笑い種の心配でドキドキして、試合の前の晩、一睡も出来ない、なんていう厨二病的な奴だったのです。

大抵、それでも初戦では勝つのですが、二試合目か三試合目で、前夜に徹夜しているので、脚が動かなくなってきて敗ける、という情けのないテニスを、結局卒業するまで続けて、しかし、それでも、就職先の企業でも、テニスクラブに所属するようになりました。

配属された職場では、仕事が忙しく、実業団の試合に選手として選ばれて出る、前の晩の睡眠時間でさえ、3時間程度しか取れないような、過酷な状況で、練習時間も殆ど取れない時期が続きました。それでも、会社の名を背負って他社のプレイヤーと対戦せねばなりません。

その時になって、初めて「俺は俺であり、これ以上でもこれ以下でもない。勝とうが負けようが、その時出来る限りのことをやれば、それで良いではないか。」と開き直ることが出来るようになったのです。 睡眠時間が全く足りなかったこともあってか、この時期から、試合の前日に速やかに入眠出来るようになったのです。

試合では、勝ったり負けたり、大して会社の名誉の為に役に立てたとも思えないのですが、自分にとっては、大学時代、本当の自分よりカッコいい自分を、人様に見せよう、という「弱さ」に囚われていたのだな、ということに気づかせて貰った、そういう、ありがたい体験でした。

その後も、テニス以外では、まだまだ、見栄を張ったり、プライドが邪魔して何かを出来なかったり、様々な失敗を繰り返しながら、人生を過ごしていますが、時々、大学時代と就職後のテニスへの姿勢を思い出し、「俺は、俺であり、それ以上でもそれ以下でもない。」と呟いて、見栄の殻を破る方向で行動することを心がけています。