グッドラック 戦闘妖精・雪風を読了

名残惜しい気がしたが、帰りの電車で読了した。 で、後書を読んでいたら、これは後編で、前編「戦闘妖精・雪風」もやはり存在したのだ、ということが分った。 どうりでいやにとっつき難い設定だと思ったら、前編を読んでからこっちを読むことが期待されていた訳か。

とは言うものの、後編の最後、もう少し先まで描いて呉れ、と言いたいところでサクッと終わっているのは流石と言うべきなのだろうが、何となく残念だ。 主役(なのか?)の深井大尉だけでなく、上司のブッカー少佐、クーリィ准将も、この先どうなるのか、知りたい、と思うのは多分下世話なSF読みなのだろうけれども。

著者の神林氏に関しては、これが初めて読む著作だったが、多分、他の著書も面白いに違いない。 夏の初めに読みまくった「りかさん」シリーズ同様、気に入った同じ作者を怒涛のごとく読みまくる、というのが僕のパターンだから、これから暫くは神林作品に没頭する羽目になりそうだ。

尤も、仕事の方も極めて多忙になりそうだから、そんなに毎日読書三昧は出来そうに無いが、こういう勢いの付いた状態で、ガシガシ読んでゆくのは久々のことだから、大切にしよう。(というか、欲望を野放しにしよう)

この話は、認識論やコミュニケーションの主題に沿って展開していたと思う。 SFの中では結構珍しいテーマの話に思えたが、自分にとっては興味深い分野だ。 素っ気無い、しかし深い洞察の飛び交う中、深井(=深い?)大尉が段々変わってゆくのを観察するのは面白かった。 僕自身は実にナイーブで、深井大尉のように他人と没交渉な態度を取ることは得意ではなかったから、こういうタイプは何となく寂しげで可哀想に思っていたのだが、自分と外界を峻別し、ギリギリまで「自己の存在」の定義に拘る彼の(雪風の)態度には一種清々しさがあった。 それと比べると、自分はなんて曖昧で中途半端なんだろうとも思った。 ま、そうでないと大抵の場合、生きて行きにくいのが現実の世界だけれども。

こういう大きな感動を受けた場合、中学高校の時分は本屋に走って、即、書棚にある同じ著者の作品を全部レジに運んだものだが、今それをやると、自宅の本棚が崩落しそうな状況だからなぁ。 まずは家内を口説いて、トイレの中に大規模な文庫本専用書棚を設置するところから始めるか。 そんな計画を温めてもう一年になるものだから、その一年の間に、該当する本棚に入る分位の本は既に買ってしまって、自宅の本棚から溢れ出している。 全くもって末期的だ。 会社のファイリングキャビネットに勝手に本を置いておいたが、それも新しい契約社員の雇用で管理者が出来たことで、もう長続きはすまいと思う。
書籍は、今後どうなってゆくのだろうか? 600ページを超える分厚い神林氏の著作をスキャンする気力は沸かないが、結局、今以上に書籍を手許に置く為には、電子化以外の手法は有り得まい。 図書館の本なんぞに期待を寄せるのは甘いし、本当に読みたい時に読めるとはとても思えない。 

後は電子書店が発達して、アマゾンでも数多くの電子書籍が販売されるようになれば、それはそれで歓迎だろう。 コピー出来なくても構わない。 とにかく、ある書籍がそこに行けば安心して読める状態である、ということが自分の中で確信出来ていればOKなのだ。 基本的にそうして安心した本の殆どは、もう一生読まないような気がするが、それで良い。 結局、自分にとっての読書体験、特に一度読んだ好きな作品の再読なんてものは、安心感が大部分だと思うからだ。 事実、再読したらがっかりすることもある位だから、そっちの方がマシ、ともいえる。