死刑囚と無期懲役囚の話

久しぶりに小学校の恩師が話して呉れたのを思い出した。

死刑囚は、刑務所で、朝、看守の足跡が聞こえると、今日こそ死刑執行の日か、と緊張し、いつ終わるか分からない人生を有効に使おうと、学習、読書、創作、と様々な活動に精力的に動くのだそうだ。 ところが無期懲役囚は、生きている限り住む所も食べる物も心配が無いせいか、全く人生に対して前向きにならず、その日の食事内容とか、日々の生活の雑事に関心が向いてしまい、全く精彩の無い日々を送ることが多いのだという。

実際には死刑囚であれ無期懲役囚であれ、人生の最後には「死」が待っている。 それどころか、刑務所の外にいる我々も全く同じように「死」を待つ死刑囚なのだ。 ところが人は、人生を死刑囚のように生きる者と、無期懲役囚のように生きるものに分かれている。 これは日々終わりの時に近づきつつある自分の人生を意識しているかどうか、にかかっている。

現代は「死」を見つめることを嫌がる社会だ。 火葬場や葬儀場が近所に出来ることを嫌がる人が多い。 しかし、一休さん書初めの故事ではないが、「死」について考え、それを意識して生きることがせめて一週間に一度でも出来たなら、随分自分の人生は充実するのではないかと思う。 葬儀場が近所に出来たら、ぐうたらな僕でももう少し働き者になるのではないだろうか。 そしてつまらないネガティブな感情に流されて時を過ごすことではなく、前向きな気持ちで人生に立ち向かう元気が出るのかも知れない。