今更ながら「アバター」3Dを観てきた

3月27日の土曜日、所用で家内と銀座に出て、折角だからと有楽町の映画館で話題のアバター3Dを観ることにした。 もうすっかり話題になり尽くした感もあるが、幾つか感じたことを。 

館内は7割位の入りで、スクリーンに近い辺りは空いていたけれど、中頃から後ろの席はほぼ満席、相変わらず人気が高い様子。

しかし、3Dであることの迫力が、そんなに凄かったのかどうか、もう一度、今度は2Dで鑑賞し直して比較してみないと分からないような気がする。 2Dで見ていても結構迫力のある作品だったのではないだろうか。 最初少し意識していたが、最後の辺りは当たり前のように受け入れていて、自分の意識としてはずっと「3Dすげ~」と思い続けた訳ではなかった。

とはいうものの、一方では3Dの臨場感は流石という感じで、高い処から急降下したりする場面が続いた辺り、心拍が異様に高まり、自分では意識しなかったけれど、余程無意識化で迫力を受け取ったのだろう、と思う。 家に戻ってからも、映画館で脚に力が入っていたらしく、膝から下が強ばってしまって、変な筋肉痛。

ナヴィ族は、イラク人というより、白人の撃退に成功したインディアン部族、という感じだけれど、米国ではどう受け止められているのだろうか? 

惑星の植物が交信する様は、佐藤史生の「やどり木」を思い出させた。 米国人で佐藤史生を読む奴が居るとは思わないけれど、似たような概念はどこでもあるんだな、と感じさせられた。 案外、僕が知らないだけで、佐藤史生自身があの発想をどこかのSFから借りてきていたりするのかも知れない。

全体として話の筋は都合が良すぎる感じがして、私としては、一部で話題になっている程のエポックメイキングな作品だとは思わなかった。 非常に面白く、引き込まれたから、相当良かったのは確かなのだけれど。 同じニュージーランドを使って撮影した作品だけれど、どうしても指輪物語と比較してしまう。