ポアロ会

長女の通う学校で行われる月に一回の父親向け勉強会。 1930から開始なのだが、仕事が立て込んで20分程遅刻してしまった。 忙しい働き盛りのお父さんたちが対象なのに、随分出席者が多いのには相変わらず驚かされる。 講師は栄光学園の校長先生も勤めた作道先生。 去年4月から開始されて、今回はあまり出席出来なかったなあ。 毎回、あまり押し付けがましくなくキリスト教の様々な知識と、西洋の哲学知識等を平易に話して下さる。 

この先生はイエズス会の修道士なので、今は多分、大船の栄光学園の学校敷地内にあるイエズス会修道院に住んでいらっしゃるのだろうと思う。 実に博識でバランスの取れた人物だと思う。 宗教者というのは、特に戒律の厳しいイエズス会の修道士は、なかなか大変なことも多いのだろうと思うが、作道先生のように色々研鑽して人格を磨いて行ける、というのは少し羨ましい感じもする。 自分自身のEQを考えると、毎年、忸怩たる思いがあるので。

今回は「新年の思い ― 年を重ねること」という題名で、中年という時期について、又、聖書の中の時間の概念について解説して下さった。 時間の概念については、かねてから僕が子供にも説いていたように、始まりがあって終わりがある、キリスト教(もしくは、ユダヤ教イスラム教も含むヘブライズム)の直線的な時間観と、ギリシャ・ローマ・インド等(ヘレニズム)の、螺旋を描いて循環するような時間観について話して下さった。 ヨーロッパの時間観念は、この二つの時間観が重なり合って構成されているんだそうな。

一度、作道先生に、ミヒャエル・エンデのモモの時間観について、お話を伺ってみたいものだ。