こういう大きな感動を受けた場合、中学高校の時分は本屋に走って、即、書棚にある同じ著者の作品を全部レジに運んだものだが、今それをやると、自宅の本棚が崩落しそうな状況だからなぁ。 まずは家内を口説いて、トイレの中に大規模な文庫本専用書棚を設置するところから始めるか。 そんな計画を温めてもう一年になるものだから、その一年の間に、該当する本棚に入る分位の本は既に買ってしまって、自宅の本棚から溢れ出している。 全くもって末期的だ。 会社のファイリングキャビネットに勝手に本を置いておいたが、それも新しい契約社員の雇用で管理者が出来たことで、もう長続きはすまいと思う。
書籍は、今後どうなってゆくのだろうか? 600ページを超える分厚い神林氏の著作をスキャンする気力は沸かないが、結局、今以上に書籍を手許に置く為には、電子化以外の手法は有り得まい。 図書館の本なんぞに期待を寄せるのは甘いし、本当に読みたい時に読めるとはとても思えない。 

後は電子書店が発達して、アマゾンでも数多くの電子書籍が販売されるようになれば、それはそれで歓迎だろう。 コピー出来なくても構わない。 とにかく、ある書籍がそこに行けば安心して読める状態である、ということが自分の中で確信出来ていればOKなのだ。 基本的にそうして安心した本の殆どは、もう一生読まないような気がするが、それで良い。 結局、自分にとっての読書体験、特に一度読んだ好きな作品の再読なんてものは、安心感が大部分だと思うからだ。 事実、再読したらがっかりすることもある位だから、そっちの方がマシ、ともいえる。