遂に二条城、まずは二の丸

朝食をホテルの1階で済ませて、荷造りし、タクシーで京都駅新幹線口へ行って、荷物を600円の大型ロッカーに入れて、さあ、今度こそは二条城。 早朝だから地下鉄の口もそれほど混雑していないが、二条城前で降りると(地上に上がると)蝉の声がジンジンと響き渡り、今日も蒸し暑い。

頑丈な鉄板を張り巡らしたの門を通って、中へ。 狩野一派の壁画、襖絵で有名なのは、幕府が大名や朝廷と面会する場として使った二の丸御殿だ。 二条城は築城400年位になるらしいが、その間、幸いなことに本格的な戦闘に使用されることも無く、美しい内部がそのまま残されている部分が多い。

二の丸は、外様大名向けの会見室と、親藩譜代大名向けでデザインが微妙に違う。 又、朝廷に対して会う部屋は、更に違う。 親藩譜代大名の部屋は、外様用より護衛控え室(武者隠し)が小さいようなのだ。 又、外様向けの部屋では、将軍の座る位置の天井が一段と高くなっていて、「身分の差」をより協調するデザインになっている。

大名との会見室の廊下から部屋への戸板は、頑丈で、体当たりしても破れないようなものだったが、朝廷との会見室は、下の部分が華奢な木で、上の部分は紙も張った障子になっていた。 これは威圧感を必要とするかどうか、という問題だったんだろうか。

廊下の途中の所々にに、高さ200cm程の処を横切る横木があって、最初は構造的に必要な補強なのかな、と思ったが、よくよく見ると、これらは二の丸の廊下の要所要所を、その時々の使われ方によって、通行止めしたり、行き止まりにしたりして、交通を制限する臨時の壁面を設置出来る工夫なのであった。 確かに、外様大名が来る時には、御付きの連中に変に内側に入ってこられないように、キチンと制限をかけて置きたいだろうし、朝廷が訪問する時には曲者が入り込んで不慮の事態に陥らないように警備して置きたいだろう。 

最近は様々な建築物を見た時、色々な工夫が感じられる。 子供の頃には分らなかったデザインの理由が段々読めるようになってきた、ということだろう。 多分、もっと勉強すれば、何故、どこがどういうデザインになっているのか、もっと分るようになるだろう。 子供達にもこういうデザインの概念を話してやれると良いのだが、今、一生懸命話しても、理解できるやらどうなのやら。